薄暗くなったステージの上に彼女は立った。
見ているだけで緊張する。
自分の事でもないのに。
無理だけはしないで欲しいと、俺は自分の手を握り締めた。




空色音楽室5




舞台の上にまた立つなんて、思ってもみなかった。
もう夢はすてるしかないと、そう思っていたんだから。
それでも私がここにいるのは音楽の為でも自分のためでも笠井の為でもない。
もちろん加害者の人にこの姿を見せ付けるためでもない。

それはきっと”運命”だ。

そう思わざるを得なかった。
があの舞台に立って鍵盤に手を置く事が。
たったそれだけだと他人なら言うかもしれない。
たったそれだけだと周りの人は俺達を笑うかも知れない。
それでも俺にとって、いやきっとにとっても。

これは大切な1歩であり大切な約束なのだから。


「この大会のとりを務めますのは武蔵森学園のさんです」


わぁ、という大歓声の中はステージの上にいた。
何度も何度も焦がれていた場所。
けれどそこに立つまでに自分の腕は熟していなくて。
やっとそこに立てると思ったとき、その腕は壊されていた。
それでも届いた招待状。受けるも受けないもこんなので弾けるわけが無い。
一度はそれを蹴ったのに。どこかの誰かが出したエントリーによって今はここにいる。
予想外にしても何にしても。
今この場でピアノを弾くという機会に巡り合えたのに変わりはなくて。
大きなホールの天上にはシャンデリアがついている。それほどまでに豪華で大切な大会。
外国の人も多く来場していて
は目を開いた。
昔交わした大きな約束を思い出し、優しく微笑むと左手で優しく鍵盤を叩いた。












『俺、サッカーにする。ピアノとサッカーが両方出来ないんだったらサッカーにする』


そう言われたときに、ショックが無かったかといわれれば苦笑せざるを得ない。
自分自身、そのうち笠井がどちらかを選ぶ事くらい分かっていた。
それでも心のどこかで一緒にピアノをやっていたいという気持ちがあったのだから。
だけどそれを口に出すというのはあまりにも酷だと自分でも分かっていた。
折角の彼の決心を自分が揺らがせてどうするのだ、と一生懸命笑っていた覚えがある。


『やるからには俺は世界に行く。世界にいけるように頑張るよ。』


だから笠井のその言葉を聞いたときに強がって言ったセリフもしっかりと覚えている。
あの時は強がって言った言葉だったけれど今となっては大切な約束であり自分自身の戒めにもなっている。
そんな、大切な言葉。


『竹巳くんがサッカーで世界に行くなら私は音楽で世界に行く。』


大見得切っていった言葉。
だけどそれは私のやる気を出させるには十分なもので笠井が武蔵森に行ってからもずっと、とにかくずっと。
ピアノを弾き続けた。
朝も昼も夜も暇な時間さえあれば弾いていた。誰に習ったわけでもないピアノを。
気が付けば近くにあって気がつけば手を伸ばしていた。
姉さんに心配されるほどにピアノに夢中になっていた。
何時の間にか色々な大会に出るほどの実力がついて、色々なところで賞をとって。
それでも決して満足する事なんて無かった。
だってそれはあくまで通過点だったから。笠井との約束はいつも私の心の中にあった。
あの強がりが私の生きる意味になったんだ。
それは誰でもない、笠井との約束だったからかもしれないと今になって思う。
それを告げることは今の私には出来ないけけれど。
この曲聴いて分かってくれたら。










「・・・あ、やだ・・・泣けてきちゃう・・・」
「あぁ、いい曲だな」
「タク、これ・・・」


うん。と1つ頷いた。
これはいつも奏でていた片側の欠けた旋律に左手を加えた”曲”。
さんは涙を隠せずに。渋沢先輩は目を細めて。誠二は目を赤くしながら、それでも必死に笑顔で。
俺は、一筋涙を零して。
その演奏に聴き入っていた。


「... all peole said to me ... 」


思わず口にしたその言葉に、俺は口元を抑えた。
これは俺が作りかけていた曲。に「完成させて」とあの日渡したあの楽譜の、続きだ。
俺がサッカーを選んだ日に、にこの楽譜を完成させる事を頼んだんだ。
覚えていてくれたのか。
静かで、繊細で、それでいて芯の強い。
そのメロディが止んだあとでさえ、暫くの間観客の誰一人として動かなかった。
司会の人も何も言わなかった。否、言えなかったのだろう。
その沈黙を破ったのは武蔵森学園の音楽部の1人だった。ドサッと楽譜を落としたのだ。
それをきっかけに周りの観客は歓声を上げた。
は立ち上がった、そして一瞬目が合う。
控えめに笑うとピクリとも左手を動かさずに舞台袖に下がっていく。
俺は座っていた椅子から立ち上がると幕へと急いだ。
無理をしたのではないかと、ただそれだけが今の自分の心を占めていた。


「笠井」
・・・手は大丈・・っ」


しーっ、と右手を口に当てて舞台を指差した。
閉式を司会の人が行っているのだ。
普通なら式でも何でもないのだからそんなのはいいじゃないかと思うのだがこれは流石にそうも思えない。
これはいわゆる音楽の若い目を見つけ出す祭典。
大企業の社長とかもここに来ていたりする。
運と実力さえあればスポンサーがつき、世界への架け橋へとなる。
もちろん実力が伴わなければ何の意味もないのだが。


「手は?」
「・・・ん。ちょっと動かせない、かも」
「・・・どうしてそんな無理するんだよ」
「笠井」


怒ってるんだろうか。
なんだか目を合わせようとしてくれない。
そういえば弾き終わったあと目があったときなんか目が赤かったし・・・。
でも、私にとってはここで弾く事が大切だったんだ。約束を果たす事が大切だった。


がここで弾く事は運命だと思った」


だけど


「それでも無理はしてほしくなかった。これは俺の我侭だ」


そうだよ、我侭だ。
だけど仕方ないだろ?
は俺を見て俯いた。


「俺、が好きだから」


うそ・・・。
私は笠井の言葉にただ目を見開いた。
私の欲しい答えを笠井はだしたんだ。


「・・・私も」


その一言を聞いてやっと俺は我にかえった。
やば・・・俺今告った、よね。
何してるんだよ俺!
どきどきと高鳴る鼓動を必死で抑えつつ、俺はが腰掛けてる椅子の方を見やった。
・・・ん?
ちょっとまった。俺今告ったんだよね。うん。それでなんて言った?
た、確か・・・。


?」「さん!」
「は、はいっ!?」


俺がの顔を覗き込むのと関係者(多分主催者だ)がを呼ぶのは同時だった。
は呼ばれてすぐに立ち上がって、小走りでステージに出た。
するとわあっという歓声が起こる。
何人かの偉そうな人たちがに何かを言っていて、彼女はそれに答えている。
幕にいる自分から見ていて、はとても眩しい存在だ。


「私は・・・左手が使えません。さっき弾いた曲は私の気持ちで弾いたんです。
 それから、私がここに立つ運命だったと言ってくれる大切な人がいたから弾けたものなんです。」


「事故が起きた時です。”故意”に起こされた事故が原因で思うようには動かなくなったんです。」


何を、言わせているんだ。
そんなことが聞きたくてにインタビューしてるっていいたいのか?
そんなこと・・・。
そう、俺が思って止めに入ろうとしたとき、インタビューをしていた記者が俺の方を見て深く被っていた帽子を上げた。


「えぇ?」


なんだよ。だってアレは。


「これが証明です」


三上先輩・・・!?
がにっこりとこっち見て笑うと後ろからひょいと誠二が出てきて俺の隣、が座っていた椅子の後ろにあるロープを引っ張った。
するとステージ上の白幕がばさっとピアノの上に落ちる。
そしてそこで大々的に赤い車の写真が発表された。
ざわっと会場内がざわめきだした。
そして武蔵森の生徒は武蔵森の生徒の中の1人を。
来賓客は来賓客の1人を信じられないという顔つきで見た。
その車はとても高い事で有名な車種で、それを所有しているといえばこの家といえるほどだった。


「私の姉は学業特待生です。援助の資金を打ち切るといえば従うしかありませんでした。」


ざわざわと会場内が不穏な空気に包まれる。
俺はステージに出ると何やってるんですか、と三上先輩に耳打ちする。
三上先輩は最初からこれをやるつもりだったらしい。そしたら俺が飛び出したのでこういう結果になったそうだ。


「彼女が事故を起こしたという証拠はありませんが・・・―――――――彼女の家の車で事故を起こしたというのは変わりません。
 武蔵森の監督さんの知り合いの警察に調べて頂いたところ、この車に私の血が付着していたそうです。さて。反論はありますか?」


そのときのの表情は安心したというような顔ではなく、酷く傷ついた顔だったのを覚えている。
それが何故だったのか俺にはそのときは分からなかったけれど誰よりも優しいなのだから。
人を責めるのが心苦しかったのだろうと後にさんが言っていた。




俺はもう
答えを聞こうという気は起きなくて
好きだと言えただけでいいのだと
自分自身を納得させていた










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あとがき。
事件解決しました。でも彼女と彼の話はこれでは終わりません。
でもきっとシリアスな展開はこれでオシマイです。
次で最後なので最後までお付き合いよろしくお願いします。